竜巻のことを書いたので、災害ついでに2008年にIowa Cityを襲った洪水のことを
思い出してみたいと思います。
"洪水"と書きましたが、いわゆる鉄砲水みたいなやつではありません。
鉄砲水って、ある程度の高低差が無いとあんなに激しく流れないと思います。
Iowa Cityは中西部のド平野に位置しているし、近くに山も無いため、鉄砲水は起こり
ません。
ではどんな洪水かというと、ジワーッと水位が上がってきて、街の低いところから徐々に
水に浸かり始めるタイプです。
水位の上がる速度がある程度予測できるため、
・街のどの部分が、いつ頃浸水しそうかの予報が出る
・それまでに土嚢を積んだり、対策が取れる(でも結局浸水するんですが…)
んです。
2008年6月の洪水騒動、これも時系列で書いていきます。
2008年5月下旬:
この年は、4月5月に結構雨が降りました。その雨はまあ、川に流れ込みます。
小さい川の支流がいくつも、Iowa Cityの北にあるCoralville rakeに繋がっています。
ここの水位が、ジワジワと上がり始めたのが確か、5月中旬~下旬だったと
記憶しています。何故記憶しているかと言うと、Coralville rakeのダム放水が、
例年に無く豪快だということで、研究室の友達と見に行ったからです。
跳水現象(Hydraulic jump)だよね…とか言いながら、見に行きました。
2008年6月上旬:
この頃、Mayflower dormの前にあるIowa City Parkが、水に浸かり始める。
どんだけ浸かったかというと、いつもならグラウンドがある場所が川と化して、
そこで釣りやってる人が居る始末。
同時期に、Iowa Cityの大部分が浸水の可能性があるので、土嚢を積む等の
対策を取るよう、学校側から指示が出始めました。
この辺りでめちすけたちも、どうやら"ガチ"なシチュエーションに気付き始めます。
2008年6月中旬1:
アイオワ大学のキャンパスの至る所で、浸水開始。
学生が避難(evacuation)を開始する。というか、避難命令が出る。
めちすけが居たビルディングも、もれなく避難命令の対象となりました。
しかし!
この一番おいしいタイミングで、めちすけはアイオワに居ませんでした。
ちょうど会社の採用試験があり、キャンパスを留守にしていたのです。
その期間およそ1週間。
その間に、めちすけのビルディングに対して土嚢積み・避難準備および避難が行わ
れました。親切なオフィスメイトたちが、荷物も全て運んでくれていました。
こんなんなってたら、もう逃げるしかないですよね。
ここで非常に運が良かったことがありました。
キャンパスを留守にする前に、私は自分の車を、高台の友人の家に避難させていた
んです!採用試験に出発する前日、"まさかね…"と思いながらも一応車を避難させ
ていたことが、功を奏したのです。お陰で車の浸水も免れましたし、帰ってきてからの
足にも困ることはありませんでした。
2008年6月中旬2:
採用試験から帰ってきたら、オフィスのみならず自分の家にも避難命令が出ていて、
あろうことか停電までしちゃってました。そりゃあ、家の周りこんなんなってんだから、
しょうがないわな。ここ、本当はHighway 6という幹線道路です。
なので、採用試験から帰ってきてまずやったことは、
・冷蔵庫のものを全て処分
・パスポートやらI-20やら、重要な書類をピックアップ
・最低限の着替えをピックアップ
して、自分の車を避難させてもらっていた友達の家に、身を寄せたことです。
2008年7月上旬:
1週間程度は何にも出来なかったのですが、研究室の教授から、図書館に集合して
仕事するぞ!という招集が掛かり、水に浸かっていない道を探しながら図書館に向かい、
仕事を始めました。自前のノートPC、4月に買っといてよかった。
が
ネットワーク状態が良くなく、計算サーバーにアクセスすることが出来ません。
なので結局、避難先の家からサーバーにアクセスして仕事をしていました。
そのまま夏休みには入れれば、どんだけ幸せだったことか。。。
2008年7月中旬:
Iowa Cityの浸水が引かない中、めちすけは無事、志望の会社から内々定通知を
受け取りました。非常に複雑な状況の中でしたが、これは嬉しかったなあ…
この少し後、キャンパスの一室に臨時研究室が設置され、"出勤"してマトモに仕事
が出来るようになりました。
2008年7月下旬:
自宅アパート地域のevacuationが解除され、家に戻ることが出来ました。
その後、研究室があったビルディングのevacuationも解除され、秋学期が始まった
少し後に元通りの生活に戻ることが出来ました。
以上が、2008年6月のアイオワシティ洪水顛末です。
思い出してみたいと思います。
"洪水"と書きましたが、いわゆる鉄砲水みたいなやつではありません。
鉄砲水って、ある程度の高低差が無いとあんなに激しく流れないと思います。
Iowa Cityは中西部のド平野に位置しているし、近くに山も無いため、鉄砲水は起こり
ません。
ではどんな洪水かというと、ジワーッと水位が上がってきて、街の低いところから徐々に
水に浸かり始めるタイプです。
水位の上がる速度がある程度予測できるため、
・街のどの部分が、いつ頃浸水しそうかの予報が出る
・それまでに土嚢を積んだり、対策が取れる(でも結局浸水するんですが…)
んです。
2008年6月の洪水騒動、これも時系列で書いていきます。
2008年5月下旬:
この年は、4月5月に結構雨が降りました。その雨はまあ、川に流れ込みます。
小さい川の支流がいくつも、Iowa Cityの北にあるCoralville rakeに繋がっています。
ここの水位が、ジワジワと上がり始めたのが確か、5月中旬~下旬だったと
記憶しています。何故記憶しているかと言うと、Coralville rakeのダム放水が、
例年に無く豪快だということで、研究室の友達と見に行ったからです。
跳水現象(Hydraulic jump)だよね…とか言いながら、見に行きました。
2008年6月上旬:
この頃、Mayflower dormの前にあるIowa City Parkが、水に浸かり始める。
どんだけ浸かったかというと、いつもならグラウンドがある場所が川と化して、
そこで釣りやってる人が居る始末。
同時期に、Iowa Cityの大部分が浸水の可能性があるので、土嚢を積む等の
対策を取るよう、学校側から指示が出始めました。
この辺りでめちすけたちも、どうやら"ガチ"なシチュエーションに気付き始めます。
2008年6月中旬1:
アイオワ大学のキャンパスの至る所で、浸水開始。
学生が避難(evacuation)を開始する。というか、避難命令が出る。
めちすけが居たビルディングも、もれなく避難命令の対象となりました。
しかし!
この一番おいしいタイミングで、めちすけはアイオワに居ませんでした。
ちょうど会社の採用試験があり、キャンパスを留守にしていたのです。
その期間およそ1週間。
その間に、めちすけのビルディングに対して土嚢積み・避難準備および避難が行わ
れました。親切なオフィスメイトたちが、荷物も全て運んでくれていました。
こんなんなってたら、もう逃げるしかないですよね。
ここで非常に運が良かったことがありました。
キャンパスを留守にする前に、私は自分の車を、高台の友人の家に避難させていた
んです!採用試験に出発する前日、"まさかね…"と思いながらも一応車を避難させ
ていたことが、功を奏したのです。お陰で車の浸水も免れましたし、帰ってきてからの
足にも困ることはありませんでした。
2008年6月中旬2:
採用試験から帰ってきたら、オフィスのみならず自分の家にも避難命令が出ていて、
あろうことか停電までしちゃってました。そりゃあ、家の周りこんなんなってんだから、
しょうがないわな。ここ、本当はHighway 6という幹線道路です。
なので、採用試験から帰ってきてまずやったことは、
・冷蔵庫のものを全て処分
・パスポートやらI-20やら、重要な書類をピックアップ
・最低限の着替えをピックアップ
して、自分の車を避難させてもらっていた友達の家に、身を寄せたことです。
2008年7月上旬:
1週間程度は何にも出来なかったのですが、研究室の教授から、図書館に集合して
仕事するぞ!という招集が掛かり、水に浸かっていない道を探しながら図書館に向かい、
仕事を始めました。自前のノートPC、4月に買っといてよかった。
が
ネットワーク状態が良くなく、計算サーバーにアクセスすることが出来ません。
なので結局、避難先の家からサーバーにアクセスして仕事をしていました。
そのまま夏休みには入れれば、どんだけ幸せだったことか。。。
2008年7月中旬:
Iowa Cityの浸水が引かない中、めちすけは無事、志望の会社から内々定通知を
受け取りました。非常に複雑な状況の中でしたが、これは嬉しかったなあ…
この少し後、キャンパスの一室に臨時研究室が設置され、"出勤"してマトモに仕事
が出来るようになりました。
2008年7月下旬:
自宅アパート地域のevacuationが解除され、家に戻ることが出来ました。
その後、研究室があったビルディングのevacuationも解除され、秋学期が始まった
少し後に元通りの生活に戻ることが出来ました。
以上が、2008年6月のアイオワシティ洪水顛末です。
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