2015年5月21日木曜日

アイオワシティ 洪水のお話②:その時、Iowan達はどう対応したか

 この洪水騒動で、非常にIowan達(アメリカン達)に敬意を表した出来事が、幾つか
ありました。日本でも災害時等、人々の助け合う姿が話題となり、世界からも称賛
されることがあります。この洪水の時の、Iowan達の助け合う姿など思い出してみます。

① やるべきことを、全員でやる!

ビルディングに浸水することが確実になった時、学生から教授から全員で、土嚢を
積んだそうです。(前にも書きましたが、めちすけはこの時、会社の採用試験でIowa
Cityを離れておりました) 結局浸水はしたんですが、彼らの頑張りがあったからこそ、
被害を最小限に食い止めることが出来たんでしょう。

http://www.hinkletown.com/iowaflood081 より

② 日常を変えない!(良い意味で)

めちすけがCeder Rapidsの空港に着いたとき、普段Iowa Cityに向かう時に使う
I-380という高速道路は、その大部分が水に浸かっていました。
ここはある意味、Ceder RapidsとIowa Cityを繋ぐライフライン的な存在です。

友達に迎えを頼もうにも、普段使う道路が水没しているので来られない。
なのでめちすけは、空港からレンタカーを借り、Iowa Cityの営業所で乗り捨てる
ことにしました。その時空港のレンタカーオフィスで、Iowa Cityのオフィスは大丈夫
なの?と聞くと、ふつーに"Yes, they're opening" とか言うんです。

ホンマかいなと思いながら、一旦下道でデモイン方面に向かい、それから南下して
I-80に入り、3時間くらいかけてIowa Cityに入りました。
そして、Iowa Cityのオフィスに車を返しに行くと…

開いてる。

なんというか、足首くらいまでは水に浸かるレベルで、電気も来てないのに、開いてる。
恐る恐る、車、返しに来たんですけど…というと、薄暗いオフィスでもお姉さんが笑顔で
OK!Thanks!と。帰りにHyVeeを覗いてみましたが、やっぱり普通に開いてる。
(HyVeeに関しては、立地もよかったんでしょうか、電気も来ている)

③ お見舞いが早い!

前にも書きましたが、めちすけの家に避難命令が出ていて立ち入り禁止だったため、
色んなものが置きっ放しでした。
しかも立ち入り禁止の立て看板には、"入って撃たれても文句言えません"とか書いて
ある。なので、モノを引き取りに帰ることもできない。(コッソリ行きましたがw)

その状況を知ってか、研究費を出してくれているスポンサーから、速攻でお見舞いメール
が届き、困ったことがあればいつでも言って来いとオファーしてくれましたし、研究に
必要な物品をFedexで届けてくれたりしました。

また、車の保険会社(Progressive)も直ぐに連絡をくれ、保険金を支払う用意があるので
被害状況を送ってくださいというメールがありました。
運良く高台に避難させていたため、無傷でしたが、これも有難かった。

④ 見ず知らずでも、助け合う!

避難させてもらっていた家の子が、カフェでバイトしてました。
そのカフェも浸水の危機で、冷蔵庫など避難させなければいけない状態だったので、
めちすけも助けに向かいました。

そしたら、全然知らない人たちも一緒になって、店のモノ運んでるんです。
で、OK、Good luck haha~ とか言いながら立ち去っていく。
これはスゲーなと思いましたし、さりげないのがまたカッコいい。

浸水したビルは、こんな感じで中を乾かします。

http://ericstoller.com/blog/2008/06/21/university-of-iowa-flood-update/


また、水が引いたあとはちょうど夏だったので、虫が湧いて困りました。。。

2015年5月19日火曜日

アイオワシティ 洪水のお話①:2008年6月-8月の時系列

 竜巻のことを書いたので、災害ついでに2008年にIowa Cityを襲った洪水のことを
思い出してみたいと思います。
"洪水"と書きましたが、いわゆる鉄砲水みたいなやつではありません。
鉄砲水って、ある程度の高低差が無いとあんなに激しく流れないと思います。

Iowa Cityは中西部のド平野に位置しているし、近くに山も無いため、鉄砲水は起こり
ません。
ではどんな洪水かというと、ジワーッと水位が上がってきて、街の低いところから徐々に
水に浸かり始めるタイプです。
水位の上がる速度がある程度予測できるため、

・街のどの部分が、いつ頃浸水しそうかの予報が出る
・それまでに土嚢を積んだり、対策が取れる(でも結局浸水するんですが…)

んです。
2008年6月の洪水騒動、これも時系列で書いていきます。

2008年5月下旬
この年は、4月5月に結構雨が降りました。その雨はまあ、川に流れ込みます。
小さい川の支流がいくつも、Iowa Cityの北にあるCoralville rakeに繋がっています。



ここの水位が、ジワジワと上がり始めたのが確か、5月中旬~下旬だったと
記憶しています。何故記憶しているかと言うと、Coralville rakeのダム放水が、
例年に無く豪快だということで、研究室の友達と見に行ったからです。
跳水現象(Hydraulic jump)だよね…とか言いながら、見に行きました。

2008年6月上旬
この頃、Mayflower dormの前にあるIowa City Parkが、水に浸かり始める。
どんだけ浸かったかというと、いつもならグラウンドがある場所が川と化して、
そこで釣りやってる人が居る始末。



同時期に、Iowa Cityの大部分が浸水の可能性があるので、土嚢を積む等の
対策を取るよう、学校側から指示が出始めました。
この辺りでめちすけたちも、どうやら"ガチ"なシチュエーションに気付き始めます。

2008年6月中旬1
アイオワ大学のキャンパスの至る所で、浸水開始。
学生が避難(evacuation)を開始する。というか、避難命令が出る。
めちすけが居たビルディングも、もれなく避難命令の対象となりました。

しかし!

この一番おいしいタイミングで、めちすけはアイオワに居ませんでした。
ちょうど会社の採用試験があり、キャンパスを留守にしていたのです。
その期間およそ1週間。
その間に、めちすけのビルディングに対して土嚢積み・避難準備および避難が行わ
れました。親切なオフィスメイトたちが、荷物も全て運んでくれていました。
こんなんなってたら、もう逃げるしかないですよね。



ここで非常に運が良かったことがありました。
キャンパスを留守にする前に、私は自分の車を、高台の友人の家に避難させていた
んです!採用試験に出発する前日、"まさかね…"と思いながらも一応車を避難させ
ていたことが、功を奏したのです。お陰で車の浸水も免れましたし、帰ってきてからの
足にも困ることはありませんでした。

2008年6月中旬2
採用試験から帰ってきたら、オフィスのみならず自分の家にも避難命令が出ていて、
あろうことか停電までしちゃってました。そりゃあ、家の周りこんなんなってんだから、
しょうがないわな。ここ、本当はHighway 6という幹線道路です。


なので、採用試験から帰ってきてまずやったことは、

・冷蔵庫のものを全て処分
・パスポートやらI-20やら、重要な書類をピックアップ
・最低限の着替えをピックアップ

して、自分の車を避難させてもらっていた友達の家に、身を寄せたことです。

2008年7月上旬
1週間程度は何にも出来なかったのですが、研究室の教授から、図書館に集合して
仕事するぞ!という招集が掛かり、水に浸かっていない道を探しながら図書館に向かい、
仕事を始めました。自前のノートPC、4月に買っといてよかった。



ネットワーク状態が良くなく、計算サーバーにアクセスすることが出来ません。
なので結局、避難先の家からサーバーにアクセスして仕事をしていました。
そのまま夏休みには入れれば、どんだけ幸せだったことか。。。

2008年7月中旬
Iowa Cityの浸水が引かない中、めちすけは無事、志望の会社から内々定通知を
受け取りました。非常に複雑な状況の中でしたが、これは嬉しかったなあ…
この少し後、キャンパスの一室に臨時研究室が設置され、"出勤"してマトモに仕事
が出来るようになりました。


2008年7月下旬
自宅アパート地域のevacuationが解除され、家に戻ることが出来ました。
その後、研究室があったビルディングのevacuationも解除され、秋学期が始まった
少し後に元通りの生活に戻ることが出来ました。

以上が、2008年6月のアイオワシティ洪水顛末です。

2015年5月17日日曜日

アイオワシティを竜巻が襲う:2006年4月13日

 アイオワシティはそんなに自然災害に襲われることも無いと思っていたのですが、
意外や意外…めちすけが居た期間に2回、全米でニュースになるレベルの災害に
あいました。始めに言っておきますが、めちゃめちゃレアなケースです。
普段はとても穏やかで、冬の寒さは厳しいですがいいとこなんですから。

その2回の災害とは、

・2006年4月に起きた竜巻
・2008年6月に起きた洪水

です。今日は2006年4月の竜巻について、思い出してみます。
これ、運良く逃れられたんですが、居場所が悪ければ怪我くらいはしていたかもしれ
ません。

竜巻が起きた時は、

①地下室に入る
②地下室が無い場合は、バスルームに入る

というのがセオリーのようです。竜巻は、少々の建物なら根こそぎ引っぺがして行き
ますし、ガラス窓など一瞬で粉々にします。そういう、建物の破片から身を守るため、
なるべく外に向かう開口部の少ない地下室、もしくはバスルームに入る、ということ
なんでしょうね。

流体力学的に言えば、乱流境界層の遷移層・対数則域ではなく粘性底層に入れば良い
なんて言う人が居ますし、正しいとは思うんですが…それを実行に移す勇気はありません…
以下、その日のめちすけの時系列です。時間など、10年前のことなので不正確かもしれ
ません。

19:00頃
柔道の練習を終え、Cambusに乗って帰宅。帰宅途中、コーラルビル方面の空が、
異常に暗いのを見て何だろうなあと思っていた。実際その日は蒸暑くて、練習中も
汗だくになっていた。

19:30頃
帰宅してシャワーを浴びた後、異常な物音がするので外を見ると、ゴルフボールくらいの
雹が降っていた。ちなみに、1台目の愛車(VW New Beetle君)の天板は、これで凹んだ。

19:40頃
警報発令。サイレンが鳴り響いて、ただ事じゃないことに気付く。
TVをつけると、画面に真っ赤なWARNINGメッセージが出ていて、

・緊急避難命令の繰り返し
・現在の竜巻の位置、および進行方向の予測

をずっと流している。

19:45分頃
家の中だけど靴を履いて長袖長ズボンに着替え、最低限の避難準備をしてバスルーム
に入る。

20:00頃
警報は継続中だが、どうもめちすけが当時住んでいた辺りの地域は、竜巻針路から
外れたニュースを見る。

次の日…

この惨状を見て愕然とする。
奇跡的に、死傷者0.


F2スケール(竜巻の強さを表すスケール)の竜巻を含む、合計5つの竜巻が、
アイオワシティをちょうど斜めに横切るようにして横断。
運良くメインキャンパスは外れたが、教会・学生寮・住宅などを吹っ飛ばした。


めちすけの居た建物は、竜巻針路から50mくらいしか離れていないところにあって、
通常は晩の7時半くらいなら、まだ建物内に居るところでした。
その日は丁度柔道の練習があったので、帰宅していて難を逃れたわけです。
街を襲った竜巻は、遠目から見るとこんな感じだったみたいで…


これを見たときは、ドロシーちゃんとか、ブリキのロボットとか言ってる場合じゃねぇな
と思いました。一応の備えをと思って、簡易発電機付きのラジオとか買いに行ったし。

中西部の気候(特に春先から夏にかけて)の特性上、竜巻の起こる確率は、沿岸域より
も高いようです。
アイオワシティではちゃんと警報も鳴りますし、一応の予報も出ます。
なので、

・予報が出ているときは、一応の注意をする。
・警報が出たら、必ず屋内の窓の無い場所(地下室・バスルーム等)に避難。
・車の保険には、Hail coverageを付けておく。(Comprehensive optionなど)

ということを、肝に銘じて置いてください。
間違ってもめちすけの友達のように、自分のアパートから実況中継とかしないように!
そいつが送ってきた写真がコレですわ。。。


これは2005年11月に、Amesという場所で起こった竜巻なんですが、あろうことか
自分のアパートから実況中継とか称して、こんな写真を送ってきた。
It's coming, it's comingとか言ってる場合じゃねえし。
アメリカンて、こういうとこスゴイですよね。

2015年5月14日木曜日

Iowa Cityレストランレビュー:中華料理

 アイオワ大学は、中国からの留学生数は結構多いです。アイオワ大学に限らず、
最近の欧米(日本も?)諸国のトレンドかもしれません。いわゆる"海亀政策"と呼ば
れるもので、自国の学生を海外に留学させ、モノになった頃合を見計らって呼び戻す
ってやつです。

めちすけが留学していた際は、ほんと中国人留学生多くてね…
今は無きHawkeye Courtという大学が運営するアパートには、山ほど居りました。
朝の通学バス(Cambusの、Hawkeye-Interdormという路線です)なんか、時間に
よっては乗客の9割が中国人で、その空間だけアメリカじゃなかった。
在りし日のHawkeye Courtです。


そんな中国の方々から聞いたり紹介してもらったりしたレストランが、こちら。
以下、評価はこんな感じです。

★:食べられなくはないけど、積極的には行かない
★★:まあ、お金を出そうかなというレベル
★★★:人を連れて行けるレベル
★★★★:通っちゃうレベル

1.China Star:★



Old Capitol Mallの中にある、いかにもなfast food chineseです。
メニュー全般的に脂っこいんですが、肉系はまあまあ食べられます。
スープ餃子的なメニューもあるんですが、餃子の皮が厚くてあまり
美味しくなかった。

にも関わらず、めちすけが結構通ってしまったのは

・懐にやさしい値段だった(~$7程度)
・店のセガレと、友達だった。(レジ打ちのバイトをしてたので、行くと
安くしてもらえた。)

からです。

2.Taste of China:★★★



North Linn Streetという、なんとなくオサレなストリート沿いにあります。
このStreetには、Linn Street Cafeなど、高級な部類に入るレストランも
点在していて、結構historicな感じがする地域です。

店のメニューは、典型的な中華料理なんですが、麺類が結構美味しい。
隠しメニューがあって、"ツァースァイローシューミェン"と頼むと、スゲー
美味しいのが出てきます。意味は分からないんですが、ザーサイ?
を載せた麺なんです。

ご飯の量は、China Starよりも少な目で、値段は少し高め。(~$9程度)
でも美味しいので、お勧めです。

3.Peking Bufffet:★★



コーラルビルの入り口にある、Buffet形式のレストランです。
2008年の洪水で、ほぼ完全に水に浸かって廃墟と化していたんですが、
復活したみたいですね。

Buffetスタイルなので、何でも食べ放題なんですが、あまり美味しく…ない。
ザリガニとかもおいてありましたが、手を付ける気になりませんでした。
とはいえ、種類多く満腹感を味わいたい時には、行ってみても良いかもしれません。

4.Panda Express:★★★



コーラルリッジモールの中にある、日本でもまあ有名なfast food chineseです。
なんかね、下手な中華レストラン行くよりも、ここの食べるほうが手軽いし
外れがなかった覚えがあります。ここも友達がバイトしてて、Pandaの絵のついた
キャップを貰いました。値段は、ハンバーガー食べるよりも少し高い程度。

ブロッコリーとか、野菜が不足したときにここで山ほどブロッコリービーフとかを
食べた記憶があります。味は濃いめです。

5.Metro Buffet:★



正確には、Ceder RapidsにあるBuffet形式の中華レストランです。
うーん…Googleの口コミは正しいね。
どれもこれも、あんまり美味しくないです。
カニの足などが置いてあって、山盛りにして食っている人も散見しましたが、
カスカスの足にお金を出す気にはなれません。
超気まぐれで、どっちかというと夜のドライブがてらに立ち寄る感じでした。

2015年5月12日火曜日

研究室毎のRA事情

 前回,研究室によって持っているgrantが異なることを書きました.そのため,
大学院生でかつRAの身分を持つ学生でも,待遇が違ったりします.
以下に,めちすけの周りに居た大学院生のRA事情を,こっそりと思いだしてみます.
個人情報もあるため,あんまり詳しく書く訳にもいかないので…

1.A君:都市環境工学専攻

A君の研究室の教授は,非常に優秀でかつ莫大な予算を持っていました.
しかし優秀すぎるが故に,持っているプロジェクトの数に対して,学生数がちょっと足り
なかった.

なのでA君は,自分の修士論文テーマとは別に,単にRAとしての仕事(学位に直接関係無い)
仕事に,大体30%弱程度の時間を使っていました.
とはいえ,それが仕事の幅を広げることに繋がったんでしょう.
博士課程で別の大学院に移り,もちろんアイオワ大研究室の教授とも良好な関係を保ち,
現在はコンサルタントとして順調なキャリアを積んでいます.

2.B殿:電子工学専攻

B殿の研究室の教授も,これまた非常に優秀でいわゆる"金のなる木"を捕まえていました.
当初は,研究室スタッフ人数(準教授・ポスドク)に比べ,学生数が少なかったので,非常に
濃密な教育を受けることが出来ていましたが,RAの給与は月$1,500程度.
その中から学費・生活費を出さなければいけないので,結構カツカツの生活だったようです.

ところが,ある時期を境に研究室スタッフ人数が急増,それに伴い学生数も増えました.
ある時期,とは,"金のなる木"が大玉の予算を落とした時期です.
この時期以後,B殿の給与は少し上がり,かつ授業料も出してもらっていたようです.

以前に比べ生活は楽になったようですが,予算増加に伴って研究結果に対するスポンサー
の期待も大きくなり,昼夜問わず研究室に来ていました.

3.C姉さん:応用数学専攻

C姉さんの研究室の教授は,ものすごーーーく良い人で優秀ですが,ちょっとボクトツ過ぎる
一面があったようです.なので,研究予算を取れている時期と取れていない時期の落差が
激しかった.

予算が取れている時は,RAとしての基本給与は十分貰っていたみたいです.

予算が取れていない時は,RAとしての基本給与すら貰えない程困窮していたので,
経営学部などの基礎数学等のTAをやって,何とか生計を立てていました.
"来季は予算がないから,給与のアテを探してきて…と,教授に言われてしまった"
などとボヤいていました.

4.Dアニキ:機械工学専攻

Dアニキの研究室の教授も,優秀でした.(まあ,アメリカの大学で研究室を主宰出来るん
ですから,大体の人が優秀です) 優秀が故に,授業も決して手を抜かなかった.

その教授は,毎春学期に工学部必修の授業を担当していました.
授業にも研究にも手を抜かない御仁ですが,1日は24時間しかない.
なので毎春学期,Dアニキは25%TA,25%RAという,微妙なポジションで仕事をしていました.
つまり,half time Assistantshipのうち,1/4をアイオワ大学から雇われ,1/4を研究室教授から
雇われる,という形態です.

しかし,1/4RAだからと言って,1/2RAよりも仕事をサボっていいわけではありません.
1/4TA & 1/4RAの形態は,あくまでも給与上の形態に過ぎませんから,1/4RAでも,1/2RAと
同等の仕事を要求されていたようですし,出来ないと結構厳しくケツを叩かれていたよう
です.

以上,4人のケースを思い出してみましたが,共通に当てはまるだろうなと思うことが
あります.それは,

"RAを経験することで,仕事に対する責任感・自分が貰うお金の重さが,痛い程分かる"

ということです.
仕事に対する責任感が無ければ,最悪研究室の教授にも迷惑がかかってしまうし,
自分の大学院生活もままならなくなります.お金が稼げないからね…

自分で,自分が所属する大学の社会において金を稼ぎながら,学位をとる.
これこそが,アメリカの大学院留学の醍醐味であり,これを経験して自国に帰ることこそが,
留学で得られる貴重な経験の1つだと思うのです.

2015年5月11日月曜日

RAについて:アメリカの大学院研究室の運営など

 RAは一般に,Graduate Research Assistantと呼ばれます.TAは,授業の補助を
してお給料を貰いますが,RAは研究の補助をしてお給料を貰います.
RAについて説明する前に,アメリカの大学院の研究室運営は,どんな感じだったか
ということを,少し思い出してみます.

アメリカの全ての…というわけではありませんが,大学院の結構の数の研究室が,
自分の研究室毎に予算(grant/funding/budget)を持っていると思います.
アイオワ大学でめちすけの居た研究室もそうでしたし,周りの研究室も大体そんな
感じでした.いわゆる,独立採算制に近い形です.

勿論,大学側からの研究室運営予算も支給されているんでしょうけど,その額は,
研究室の教授が外部から取ってくるfundingに対しては,少額だと考えられます.
では,研究室の運営予算を,どのようにして外部から取ってくるのでしょうか?

日本では,大学や研究機関の外部資金は

・科研費
・企業や他大学・他機関との共同・受託研究
・特許収入
・中央省庁・地方支分部局が公募する予算 etc...

といったところから取ります.
基本的に,アメリカの大学院も一緒です.
例えば中央省庁的なところで言えば,

・DoE (Department of Energy)
・DoD (Department of Defense)
・NSF (National Science Foundation)
・NIH (National Institute of Health) etc...

などから予算を貰います.
予算を貰う際には,研究計画(project proposal)を書いて取ろうとしている予算へ
応募し,相当に厳しい審査を受け,晴れて予算獲得となるわけです.

予算獲得のための審査が厳しいため,教授はその申請書類の準備に手一杯で,
予算申請前はなかなか,学生とcommunicateする時間はありません.
しかし,めちすけの個人的な感想を言えば,それはある意味仕方がないことだと
思います.

grantを取れなければ,優秀な人材(準教授,ポスドク,大学院生のRA等)を採用
出来ないし,必要経費が足りなくなって研究室が運営出来ない.
だから,研究室のボスである教授は,確実にgrantを取りに行かなくてはならんのです.
だから,その時期はどうしても,学生を相手にする時間は減ってしまう.

grantが豊富な研究室では,RA給与に加えて大学院の学費まで出してもらえます.
grantが乏しくなった研究室では,RAがクビになることは無いにしても,給与は出なく
なります.(でも当然,研究室で割り振られた仕事はやらなきゃいけない.)

しかし,生活していかなくてはならないので,何らかのAssistantshipを貰って勉強を
続けることになります.例えば

・工学部だけど,経済学部などのTAをして給与を貰う
・機械工学科だけど,医用工学科のRAをして給与を貰う.でも学位は機械工学科で...

などなど.
なので,大学院留学生活中,自分でお金を稼いで勉強したいと思うのであれば,
経済的に安定している(=金のなる木を捕まえている)研究室を選ぶのが良いのかも
しれません.

しかし,自分の専攻したい内容の研究室が,grantを豊富に持っているとは限らない
ので,なかなか難しい問題なのです.

2015年5月7日木曜日

Iowa Cityレストランレビュー:インド料理

 なぜレストランレビューでインド料理なんだ…と思う方もいらっしゃるかもしれません.
めちすけが留学していた時,大親友の1人がインド人の天才でした.
どんだけ天才かというと,授業ノートは取ったことがないけど,成績はAばっかり.
プログラムを書く時も,頭の中で式展開が出来てしまう.
ちょっと分からないことがあっても,教科書読めばすぐ理解. etc etc

という,何とも羨ましい頭脳を持っていました.
かといって偉ぶることもせず,"go with the flow..."が口癖のユラっとした奴です.
こいつと居たお陰(?)で,1週間のうち3日はカレーを食っている,そんな食生活だったから,
インド料理からのスタートなのです.

以下,評価はこんな感じで.

★:食べられなくはないけど,積極的には行かない.
★★:まあ,お金を出そうかなというレベル
★★★:人を連れて行けるレベル
★★★★:通っちゃうレベル

1.India Cafe:★★



お昼はビュッフェスタイルのレストランで,日によって出ているカレーの
種類が違います.常時3種類くらい出ているのですが,

・バターチキンカレー
・ほうれん草のカレー
・ひよこ豆のカレー

が記憶に残っています.その他に,タンドリーチキン,野菜サラダ,軽い
デザート(Indian styleのものや,ライチなどのフルーツ)が取り放題.
サフランライス・ナンの両方が置いてあります.
12ドル?だったかな.値段は10ドル前後だった記憶があります.
ここに,多い時は週3で通っていました.

2.Masala:★



人によって好みが分かれます.
ベジタリアン用のお店なので,私も周りのインド人達もあまり行きませんでした.
あまりにも行かない店なので,値段は忘れてしまいました.
ここもビュッフェスタイルですが,メニューの数がIndia Cafeより少ないです.
なんかこう,味が薄いというか...

3.Exotic India:★★★★



自信を持ってお勧めできるレストランで,インド人コミュニティの中でも,
"あそこは間違いない"と言われているレストランです.
ビュッフェスタイルではありませんので,少し値段は割高です.(~25ドル/人くらい?)

ここのカレーは何を頼んでも美味しいですし,絶対に食べて頂きたいのは
タンドリーチキンです.焼き立てを,鉄板の上に載せてきてくれるのですが,最高です.
ナンも,ビュッフェのとは比べ物にならないくらい香ばしく,かつソフトです.

たまに不定期で休んじゃうのは,御愛嬌でしょうか.(Indian time scale?)

4.Haveli Indian Cuisine:未定



コーラルビルに出来ているみたいですが,私が居た際はありませんでした.
Googleの口コミは結構高いみたいなので,怖いもの見たさ(失礼!)で,
行ってみられては如何でしょうか.