この留学を振り返って、勿論専門知識を得ることが出来たことは大きな収穫なんですが、
それを達成するにあたって、本当に大切だったことの1つが柔道でした。
柔道を通じて、地域や学校に溶け込むことが出来、素晴らしい人達との携わりがあり、
自身も成長することが出来ました。柔道が無かったら、学位は取ることは出来ていたかも
しれませんが、留学の価値・意味は半減していたかもしれません。
それくらい大きな存在だった。
このことを思い出す上でまず、なぜ柔道やったんか?ということから。
留学生活を始めて数週間経って、心の余裕は無いにしても、何か体動かしたいなあと
思うようになりました。うろ覚えですが、住む家が見つかる前後の時期(5月終わり頃?)
だったと記憶しています。
めちすけのスポーツ経験(部活レベルでってこと)は、中学・高校・大学を含めて
■ テニス
■ 柔道
■ 水泳
くらいです。そして、どれもこれも超普通のレベルでした。
インターハイに出るわけでもなく、県大会に出るわけでもなく。
しかもテニスと柔道は長続きせず、これがずっと心にひっかかっておりました。
なぜか。
それは、団体でやるスポーツ(練習・合宿etc)を通じた人間関係の深まり、それを深める
ことの大切さを、イヤと言うほど感じていたからです。
テニス/柔道を続けていれば、その年代における自分の人間関係は、もっと深まっていたし、
自身ももっと人間的に成長していたかもしれない。
テニスと柔道を中途半端にした際に、結構人に迷惑もかけて、それを申し訳なく思って
いました。また、人間関係を深められかつ自身が成長出来る機会を、自ら手放した自分
にも、言いようの無い不甲斐なさを感じていました。
当時はアイオワではまあ、ストレス解消程度に体を動かせればいいや位に、思っていました。
で、やるなら自身に経験がある上記3つのスポーツが良いなあと思っていました。
その中から柔道を選んだ理由は、
・当時のアイオワ大学には日本人が少なく、特に学科内では自分1人だった
・だから、日本的なものに飢えていた
・単純に、柔道が好きだった
からです。
当時、アイオワ大学柔道部のヘッドコーチをしていた方は、めちすけと同じ建物に居られた
教授でした。しかも、元々欧州の代表チームにも入っていたことのある、そりゃあ文武両道
な方だった。そして人間的にも素晴らしい方で、自分は今でもアイオワの第2の恩師と思って
います。(以下、W先生と呼びます。)
W先生にお願いに言ったところ、練習に参加することを快諾してくれました。
"フランクな雰囲気だから、きっと君も気に入る。日本で、一応黒帯取ったんでしょ?
やるんならちゃんとやろう。"
で、思ったわけです。
ここで博士課程終わるまで、もう1回ちゃんとやってみよう。
そしたら、昔得られなかったものが得られるかもしれない。
2003年5月終わり、私のアイオワ大学柔道部物語の始まりでした。
それを達成するにあたって、本当に大切だったことの1つが柔道でした。
柔道を通じて、地域や学校に溶け込むことが出来、素晴らしい人達との携わりがあり、
自身も成長することが出来ました。柔道が無かったら、学位は取ることは出来ていたかも
しれませんが、留学の価値・意味は半減していたかもしれません。
それくらい大きな存在だった。
このことを思い出す上でまず、なぜ柔道やったんか?ということから。
留学生活を始めて数週間経って、心の余裕は無いにしても、何か体動かしたいなあと
思うようになりました。うろ覚えですが、住む家が見つかる前後の時期(5月終わり頃?)
だったと記憶しています。
めちすけのスポーツ経験(部活レベルでってこと)は、中学・高校・大学を含めて
■ テニス
■ 柔道
■ 水泳
くらいです。そして、どれもこれも超普通のレベルでした。
インターハイに出るわけでもなく、県大会に出るわけでもなく。
しかもテニスと柔道は長続きせず、これがずっと心にひっかかっておりました。
なぜか。
それは、団体でやるスポーツ(練習・合宿etc)を通じた人間関係の深まり、それを深める
ことの大切さを、イヤと言うほど感じていたからです。
テニス/柔道を続けていれば、その年代における自分の人間関係は、もっと深まっていたし、
自身ももっと人間的に成長していたかもしれない。
テニスと柔道を中途半端にした際に、結構人に迷惑もかけて、それを申し訳なく思って
いました。また、人間関係を深められかつ自身が成長出来る機会を、自ら手放した自分
にも、言いようの無い不甲斐なさを感じていました。
当時はアイオワではまあ、ストレス解消程度に体を動かせればいいや位に、思っていました。
で、やるなら自身に経験がある上記3つのスポーツが良いなあと思っていました。
その中から柔道を選んだ理由は、
・当時のアイオワ大学には日本人が少なく、特に学科内では自分1人だった
・だから、日本的なものに飢えていた
・単純に、柔道が好きだった
からです。
当時、アイオワ大学柔道部のヘッドコーチをしていた方は、めちすけと同じ建物に居られた
教授でした。しかも、元々欧州の代表チームにも入っていたことのある、そりゃあ文武両道
な方だった。そして人間的にも素晴らしい方で、自分は今でもアイオワの第2の恩師と思って
います。(以下、W先生と呼びます。)
W先生にお願いに言ったところ、練習に参加することを快諾してくれました。
"フランクな雰囲気だから、きっと君も気に入る。日本で、一応黒帯取ったんでしょ?
やるんならちゃんとやろう。"
で、思ったわけです。
ここで博士課程終わるまで、もう1回ちゃんとやってみよう。
そしたら、昔得られなかったものが得られるかもしれない。
2003年5月終わり、私のアイオワ大学柔道部物語の始まりでした。